第1回「日本のフランス料理」
第1回「日本のフランス料理」
先般、紀宮様が御結婚された際、披露宴はフランス料理であった。宮中では明治時代以降、正式な晩餐は和食ではなく、フランス料理と決っており、国の外交行事には全てフランス料理が出されている。このように日本でのフランス料理のルーツは、明治時代の宮中から始まった。
私達にフランス料理が一般に身近になったのは、円が360円から変動相場制になり高くなって、多くの人々が海外旅行に出かける様になった頃からである。
しかし「フランス料理は量は少ないし、値段は高いし、料理を一皿一皿待つのが嫌」という声を私はよく耳にする。もっともな意見である。まずは料理の量の事。よく「フランス料理は大きなお皿に少しの量」と言われている。確かに日本のフランス料理は一皿の量が少ない。私も東京・福岡・熊本などで食べる機会が多いが、量的に満足したのは数える位しかなく、驚くほど量が少ないレストランもある。「これでは若い人は満足しないだろう」と思う事がある。量が少なく値段が高ければ、自然と足が遠のいてしまう。本場フランスでは、こんな事はない。満足する位、もしくは食べきれない位の量があり、味もしっかりしている。
生徒さんを同行してフランス・グルメ旅に行く事があるが、皆美味しい本場の料理に満足して、和食を忘れてしまっている。
日本のフランス料理はどうしてこんなになったのだろう。「日本人は小食だから」と言うシェフもいる。しかしイタメシブームが起ったのは、一つにはフランス料理のシェフ達がお客のニーズをつかみ切れなかった事にあるのではないか。
銀座の予約のなかなか取れないフランス料理のレストランがある。そこに行った時、銀座の土地柄からは信じられない値段とたっぷりの量、その美味しさに人気の秘密がわかった。
ビジネスに「顧客満足」という言葉がある。お客様が満足して初めてリピーターとなる。この「顧客満足」という言葉を、忘れないことが大切である。
(マインド社「ホームホーム」掲載)
先般、紀宮様が御結婚された際、披露宴はフランス料理であった。宮中では明治時代以降、正式な晩餐は和食ではなく、フランス料理と決っており、国の外交行事には全てフランス料理が出されている。このように日本でのフランス料理のルーツは、明治時代の宮中から始まった。
私達にフランス料理が一般に身近になったのは、円が360円から変動相場制になり高くなって、多くの人々が海外旅行に出かける様になった頃からである。
しかし「フランス料理は量は少ないし、値段は高いし、料理を一皿一皿待つのが嫌」という声を私はよく耳にする。もっともな意見である。まずは料理の量の事。よく「フランス料理は大きなお皿に少しの量」と言われている。確かに日本のフランス料理は一皿の量が少ない。私も東京・福岡・熊本などで食べる機会が多いが、量的に満足したのは数える位しかなく、驚くほど量が少ないレストランもある。「これでは若い人は満足しないだろう」と思う事がある。量が少なく値段が高ければ、自然と足が遠のいてしまう。本場フランスでは、こんな事はない。満足する位、もしくは食べきれない位の量があり、味もしっかりしている。
生徒さんを同行してフランス・グルメ旅に行く事があるが、皆美味しい本場の料理に満足して、和食を忘れてしまっている。
日本のフランス料理はどうしてこんなになったのだろう。「日本人は小食だから」と言うシェフもいる。しかしイタメシブームが起ったのは、一つにはフランス料理のシェフ達がお客のニーズをつかみ切れなかった事にあるのではないか。
銀座の予約のなかなか取れないフランス料理のレストランがある。そこに行った時、銀座の土地柄からは信じられない値段とたっぷりの量、その美味しさに人気の秘密がわかった。
ビジネスに「顧客満足」という言葉がある。お客様が満足して初めてリピーターとなる。この「顧客満足」という言葉を、忘れないことが大切である。
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第2回「ケーキの発達の歴史」
第2回「ケーキの発達の歴史」
今、熊本にもケーキ屋さんがあちこちに出来て、X'masや誕生日などのイヴェントの時だけでなく、ケーキが日常的なものとなってきている。
終戦後のベビーブーマーの私達が子どもの頃は、おやつといえば飴や駄菓子で、X'masケーキはバラの花が絞ってあるバタークリームのケーキであった。生クリームのケーキが食べられるようになったのは、いつの頃からであったか。初めて生クリームを口にした時は、あまりの美味しさに感激したものだった。
生クリームは攪拌や温度で分離する為、流通する様になるには、低温流通の社会的基盤(インフラ)が整備されなければならなかった。19世紀のパリ革命の後のフランスでは、宮廷料理人アントナン・カレームが氷室の中で生クリームを使っていた。
今フランス菓子はムースやクリームを使ったケーキが主流になっているが、これも戦後、冷蔵や冷凍設備が発達したお陰で、お菓子の発展にはこの様に社会的な要素が大きく影響している。
お菓子の歴史のルーツは、古代人はまず木の実を食べ、次に果物を干して甘味が増す事を知り、ドライフルーツがお菓子となった。古代エジプトの時代になると、蜂蜜が甘味料となった。中世になり、十字軍がアラビアから砂糖を伝える迄、蜂蜜が長い間使われ続けた。ドイツに粉と蜂蜜を練り合わせたレープクーヘンというお菓子があるが、昔からの古典的なお菓子である。
ヨーロッパの文化の源は、ローマ帝国とその後イタリアのフィレンツェで興ったルネッサンスにある。ローマ時代には、貴族社会ではアルプスの雪を使ってアイスクリームが食されていた。アイスクリームのルーツはイタリアにあり、近代にアメリカで工業的に大量生産され始めた。16世紀のルネッサンスの頃、フィレンツェの財閥のメディチ家から、娘のカテリーナ・ド・メディチがフランスのアンリ2世に嫁いだ時に、多くの文化がフランスに伝わった。お菓子はアイスクリームやマカロンなどが伝わり、今のフランス菓子のルーツはイタリアにある。その後絢爛豪華な貴族社会の中でフランス菓子は発展し、パリ革命の前に隆盛を極めた。パリ革命で貴族社会が崩壊し、パトロンを失ったパティシェや料理人達は、街にケーキ屋やレストランを開いて、一般に広まっていった。
このようにお菓子は豊かな産物と贅沢な富をもつ文化の基に発展してきた。
今、日本の食生活も、本当に豊かで贅沢になってきた事を実感している。
(マインド社「ホームホーム」掲載)
今、熊本にもケーキ屋さんがあちこちに出来て、X'masや誕生日などのイヴェントの時だけでなく、ケーキが日常的なものとなってきている。
終戦後のベビーブーマーの私達が子どもの頃は、おやつといえば飴や駄菓子で、X'masケーキはバラの花が絞ってあるバタークリームのケーキであった。生クリームのケーキが食べられるようになったのは、いつの頃からであったか。初めて生クリームを口にした時は、あまりの美味しさに感激したものだった。
生クリームは攪拌や温度で分離する為、流通する様になるには、低温流通の社会的基盤(インフラ)が整備されなければならなかった。19世紀のパリ革命の後のフランスでは、宮廷料理人アントナン・カレームが氷室の中で生クリームを使っていた。
今フランス菓子はムースやクリームを使ったケーキが主流になっているが、これも戦後、冷蔵や冷凍設備が発達したお陰で、お菓子の発展にはこの様に社会的な要素が大きく影響している。
お菓子の歴史のルーツは、古代人はまず木の実を食べ、次に果物を干して甘味が増す事を知り、ドライフルーツがお菓子となった。古代エジプトの時代になると、蜂蜜が甘味料となった。中世になり、十字軍がアラビアから砂糖を伝える迄、蜂蜜が長い間使われ続けた。ドイツに粉と蜂蜜を練り合わせたレープクーヘンというお菓子があるが、昔からの古典的なお菓子である。
ヨーロッパの文化の源は、ローマ帝国とその後イタリアのフィレンツェで興ったルネッサンスにある。ローマ時代には、貴族社会ではアルプスの雪を使ってアイスクリームが食されていた。アイスクリームのルーツはイタリアにあり、近代にアメリカで工業的に大量生産され始めた。16世紀のルネッサンスの頃、フィレンツェの財閥のメディチ家から、娘のカテリーナ・ド・メディチがフランスのアンリ2世に嫁いだ時に、多くの文化がフランスに伝わった。お菓子はアイスクリームやマカロンなどが伝わり、今のフランス菓子のルーツはイタリアにある。その後絢爛豪華な貴族社会の中でフランス菓子は発展し、パリ革命の前に隆盛を極めた。パリ革命で貴族社会が崩壊し、パトロンを失ったパティシェや料理人達は、街にケーキ屋やレストランを開いて、一般に広まっていった。
このようにお菓子は豊かな産物と贅沢な富をもつ文化の基に発展してきた。
今、日本の食生活も、本当に豊かで贅沢になってきた事を実感している。
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第3回「海外旅行と英語教育」
第3回「海外旅行と英語教育」
私が初めて海外旅行に行ったのは、20数年前、まだ1ドルが250円の頃だった。サンフランシスコの妹を訪ねて、小学生の2人の子どもを連れ、夏休みに3週間ほど行った。当時、成田空港が開港してまもなくの頃だった。
妹の家に2週間ほど滞在し、子どもを連れてプールやゴールデンゲート公園の博物館などを毎日歩き回った。その時日本にはまだディズニーランドがなかった為、ロスのディズニーランドに3日間滞在して毎日楽しく出かけた。とても楽しい思い出となっている。
その後仕事を兼ねてヨーロッパ、特にフランスには度々出かけ、アジアなどにも出かけている。今では海外に出かける事は一般的になり、その楽しみ方は人それぞれあるが、私にとっての海外の楽しみは、1つは異文化に接する事。そして世界史が大好きな私は、それぞれの国の歴史に触れる事で、今の世界の動きが理解できる楽しみがある。そして最も楽しいのは、色々な国の人々とコミュニケーションがとれる事である。その為には言葉が必要である。私は英語と仏語で旅をしている。
今、日本で小学校から英語教育が実施され始めている。私はカソリック系の私立小学校へ通っていた為、50年ほど前に小学校で外国人のシスターによる英語の授業を受けていた。当時は何も理解できず、口だけパクパクまねをする状態で英語の授業は好きではなかったが、今では口が自然に英語を発音するようになり、口が覚えていた。
英語により、私の海外での楽しさは倍増し、しかも自由に行きたい所に行ける楽しさがある。「英語教育を小学生から始めると、国語がおろそかになる」などという意見があるが、私の経験からすると、自国語と成長してから学ぶ外国語では原点が異り、自国語がおろそかになる事はなかった。
昨年タイを旅行している時、膝に細菌感染し、現地の病院へ入院するはめになった。しかしドクターや看護婦さん方と英語でコミュニケーションができた為に、幸い不安や寂しさは感じなかった。イギリスで知り合った初老の男性はNHKのラジオとテレビで英会話を学ばれたそうで、旅を自由に楽しまれていた。
簡単な英語で旅はできる。学ぶ方法も色々ある。今、日本で始まった小学生からの英語教育に期待している。
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私が初めて海外旅行に行ったのは、20数年前、まだ1ドルが250円の頃だった。サンフランシスコの妹を訪ねて、小学生の2人の子どもを連れ、夏休みに3週間ほど行った。当時、成田空港が開港してまもなくの頃だった。
妹の家に2週間ほど滞在し、子どもを連れてプールやゴールデンゲート公園の博物館などを毎日歩き回った。その時日本にはまだディズニーランドがなかった為、ロスのディズニーランドに3日間滞在して毎日楽しく出かけた。とても楽しい思い出となっている。
その後仕事を兼ねてヨーロッパ、特にフランスには度々出かけ、アジアなどにも出かけている。今では海外に出かける事は一般的になり、その楽しみ方は人それぞれあるが、私にとっての海外の楽しみは、1つは異文化に接する事。そして世界史が大好きな私は、それぞれの国の歴史に触れる事で、今の世界の動きが理解できる楽しみがある。そして最も楽しいのは、色々な国の人々とコミュニケーションがとれる事である。その為には言葉が必要である。私は英語と仏語で旅をしている。
今、日本で小学校から英語教育が実施され始めている。私はカソリック系の私立小学校へ通っていた為、50年ほど前に小学校で外国人のシスターによる英語の授業を受けていた。当時は何も理解できず、口だけパクパクまねをする状態で英語の授業は好きではなかったが、今では口が自然に英語を発音するようになり、口が覚えていた。
英語により、私の海外での楽しさは倍増し、しかも自由に行きたい所に行ける楽しさがある。「英語教育を小学生から始めると、国語がおろそかになる」などという意見があるが、私の経験からすると、自国語と成長してから学ぶ外国語では原点が異り、自国語がおろそかになる事はなかった。
昨年タイを旅行している時、膝に細菌感染し、現地の病院へ入院するはめになった。しかしドクターや看護婦さん方と英語でコミュニケーションができた為に、幸い不安や寂しさは感じなかった。イギリスで知り合った初老の男性はNHKのラジオとテレビで英会話を学ばれたそうで、旅を自由に楽しまれていた。
簡単な英語で旅はできる。学ぶ方法も色々ある。今、日本で始まった小学生からの英語教育に期待している。
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第4回「外資系企業での仕事」
第4回「外資系企業での仕事」
「IBM」と言う会社をご存知でしょうか?
今回はアメリカの会社で働いた経験をお話をしたいと思っている。この会社はアメリカに本社があり、世界中でビジネスを展開している世界最大の大型コンピューターの多国籍企業である。
コンピューターを日本の大正時代に世界で初めて作り、コンピューターを作る基本の特許を持っている。日本がコンピューター産業を育成する際、この基本特許を無償で日本に公開する事を交換条件に、日本で100%のアメリカ資本で会社を設立した。この事は保護政策をしていた当時の日本にとっては、画期的な事だった。
私が大学卒業後、このIBMにシステムズエンジニアとして入社したのは、大阪万博で日本が沸き立っている年だった。
当時九州大学工学部卒業の女性を採用する日本企業はなく、このIBMだけが技術職の女性に門戸を開いていた。今の様に外資系の会社も少なく、幸いに採用された。まず驚いたのは、入社して1年間大学で学んだ以上にハードな教育を受けた事だった。コンピューターの事はもちろん、プレゼンテーションの仕方、話し方、食事のマナーなど多くのビジネスマナーを教育された。この教育の成績がすぐに上司に報告され、お給料に反映した。とても厳しかった。胃潰瘍にもなった。
この教育を受けた事が今の仕事に大変役に立っている。
日本の企業と大きく異なる点が幾つもある。まず会社の中ではたとえ社長でも、上司でも、皆が役職ではなく名前で呼ぶ。これは日本の社会では許されない事である。又会社の中でお茶汲みはしなくて良かった。なぜならお茶を入れたり、コピーをする時間があれば、その時間は仕事をしなさいという事で、お茶はたとえ役職の人でも各自飲みたい時に給茶機で飲み、コピーすら自分でしなくて良かった。仕事も各自にプロジェクトが任され、誰も手伝ってもらえない状況で、自分で勉強し考えて仕事をしなければならなかった。
その分男性と同じ待遇でやりがいがあった。
おかげで「自分で仕事を作り出す」と言う事が、今の私に繋がっている。
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「IBM」と言う会社をご存知でしょうか?
今回はアメリカの会社で働いた経験をお話をしたいと思っている。この会社はアメリカに本社があり、世界中でビジネスを展開している世界最大の大型コンピューターの多国籍企業である。
コンピューターを日本の大正時代に世界で初めて作り、コンピューターを作る基本の特許を持っている。日本がコンピューター産業を育成する際、この基本特許を無償で日本に公開する事を交換条件に、日本で100%のアメリカ資本で会社を設立した。この事は保護政策をしていた当時の日本にとっては、画期的な事だった。
私が大学卒業後、このIBMにシステムズエンジニアとして入社したのは、大阪万博で日本が沸き立っている年だった。
当時九州大学工学部卒業の女性を採用する日本企業はなく、このIBMだけが技術職の女性に門戸を開いていた。今の様に外資系の会社も少なく、幸いに採用された。まず驚いたのは、入社して1年間大学で学んだ以上にハードな教育を受けた事だった。コンピューターの事はもちろん、プレゼンテーションの仕方、話し方、食事のマナーなど多くのビジネスマナーを教育された。この教育の成績がすぐに上司に報告され、お給料に反映した。とても厳しかった。胃潰瘍にもなった。
この教育を受けた事が今の仕事に大変役に立っている。
日本の企業と大きく異なる点が幾つもある。まず会社の中ではたとえ社長でも、上司でも、皆が役職ではなく名前で呼ぶ。これは日本の社会では許されない事である。又会社の中でお茶汲みはしなくて良かった。なぜならお茶を入れたり、コピーをする時間があれば、その時間は仕事をしなさいという事で、お茶はたとえ役職の人でも各自飲みたい時に給茶機で飲み、コピーすら自分でしなくて良かった。仕事も各自にプロジェクトが任され、誰も手伝ってもらえない状況で、自分で勉強し考えて仕事をしなければならなかった。
その分男性と同じ待遇でやりがいがあった。
おかげで「自分で仕事を作り出す」と言う事が、今の私に繋がっている。
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第5回「わくわくするケーキ作り」
第5回「わくわくするケーキ作り」
オーヴンの中でケーキが膨らむのを見るのはわくわくする。教室を開いて25年ほどなるが、毎回生地をオーヴンに入れて焼く度にこのどきどきする感激を覚える。お菓子を作る楽しさはここにある様に思える。お菓子はどうして膨らむのでしょう?
卵に砂糖を入れて泡立てると、膨らんだスポンジが出来る。泡を立てて空気をいっぱい含んだ生地は、オーヴンの熱で風船が温めると膨らむようにふくらんで焼ける。しかし泡立てなくても膨らむお菓子がある。
皆様が大好きなシュークリーム。このシュー生地は火にかけて練ったルーに卵を混ぜて作る。空気を入れて泡立てることはしないが、膨らむ。
また、サクサクとして美味しいパイのお菓子が様々ある。アップルパイやミルフィーユなど他にも沢山のパイのお菓子がある。パイは泡を立てていない。しかし膨らんでサクサクの食感で美味しい。
このように泡を立てて空気を含ませない生地を膨らませるのは、何でしょう。それは水蒸気です。シューの生地もパイ生地も、生地の中に沢山の水を含んでいる。この水がオーヴンの高い熱で水蒸気になり、生地を押し上げて膨らませていく。水蒸気は生地の温度が一気に100℃以上にならないと出てこない。その為に200℃近い温度の高いオーヴンに入れて、一気に生地の温度を100℃にして、水蒸気を発生させてシューやパイが膨らんでいく。その為にパイとシューを組み合わせたお菓子もある。膨らむ原理が同じのため、パイドシューなどのお菓子を作ることが出来る訳である。
ベーキングパウダーを使って膨らませるお菓子も沢山ある。今のベーキングパウダーはアメリカで開発された為、アメリカやイギリスのお菓子は殆どベーキングパウダーを使っている。ベーキングパウダーはオーヴンの中で生地の温度が上がると、分解して炭酸ガスを生地の中に発生させて、お菓子を膨らませる。ベーキングパウダーは独特の後味があり、これも添加物の一つなので、私は一切使わないことにしている。
お菓子は科学なのです。お菓子作りは作る事にわくわくする感動がある。
(マインド社「ホームホーム」掲載)
オーヴンの中でケーキが膨らむのを見るのはわくわくする。教室を開いて25年ほどなるが、毎回生地をオーヴンに入れて焼く度にこのどきどきする感激を覚える。お菓子を作る楽しさはここにある様に思える。お菓子はどうして膨らむのでしょう?
卵に砂糖を入れて泡立てると、膨らんだスポンジが出来る。泡を立てて空気をいっぱい含んだ生地は、オーヴンの熱で風船が温めると膨らむようにふくらんで焼ける。しかし泡立てなくても膨らむお菓子がある。
皆様が大好きなシュークリーム。このシュー生地は火にかけて練ったルーに卵を混ぜて作る。空気を入れて泡立てることはしないが、膨らむ。
また、サクサクとして美味しいパイのお菓子が様々ある。アップルパイやミルフィーユなど他にも沢山のパイのお菓子がある。パイは泡を立てていない。しかし膨らんでサクサクの食感で美味しい。
このように泡を立てて空気を含ませない生地を膨らませるのは、何でしょう。それは水蒸気です。シューの生地もパイ生地も、生地の中に沢山の水を含んでいる。この水がオーヴンの高い熱で水蒸気になり、生地を押し上げて膨らませていく。水蒸気は生地の温度が一気に100℃以上にならないと出てこない。その為に200℃近い温度の高いオーヴンに入れて、一気に生地の温度を100℃にして、水蒸気を発生させてシューやパイが膨らんでいく。その為にパイとシューを組み合わせたお菓子もある。膨らむ原理が同じのため、パイドシューなどのお菓子を作ることが出来る訳である。
ベーキングパウダーを使って膨らませるお菓子も沢山ある。今のベーキングパウダーはアメリカで開発された為、アメリカやイギリスのお菓子は殆どベーキングパウダーを使っている。ベーキングパウダーはオーヴンの中で生地の温度が上がると、分解して炭酸ガスを生地の中に発生させて、お菓子を膨らませる。ベーキングパウダーは独特の後味があり、これも添加物の一つなので、私は一切使わないことにしている。
お菓子は科学なのです。お菓子作りは作る事にわくわくする感動がある。
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第6回「フランス旅行へのお誘い」
第6回「フランス旅行へのお誘い」
私の教室でのヨーロッパ企画旅行を始めてから、もう10年程になる。今年の秋にフランス旅行を企画し、現在参加者を募集中!
この企画旅行とはオーダーメイドの旅行でJTBが主催される。人数も20名の限定で、個人旅行やツアーではなかなか行けない内容である。
旅行の価格は様々あるが、その価格の違いは、まずは季節、次にホテルと食事にある。私もヨーロッパへ行くうちに、段々口も目も肥えて、ホテルもヨーロッパの伝統的な、しかも立地の良いホテルに泊まり、お洒落して、星付きのレストランで、素敵なインテリアの中で心地よいサービスを受けて美味しいディナーを頂くことが楽しみになった。星付きのレストランを自分で2ヶ月前位に予約し、メニューを見てディナーを頂くには、どうしても英語かフランス語が必要となってくる。私の旅行の話を聞かれた生徒さん方から「私たちもぜひ行きたい」と頼まれたのが、この旅行のそもそもの始まりだった。
1回目はフランスとドイツの国境の町ストラスブールからブルゴーニュのワイン街道をマスタードで有名なデジョン迄、ワイン醸造所でブルゴーニュのワインを試飲しながら、ワイン畑の中を下ってパリへ行った。ロマネコンティの畑も見た。とても美しい絵の様な田舎の景色だった。パリではリッツとトゥールダルジャンでディナーを頂いた。
2、3回目はミラノ、ヴェニスの北イタリアからスイスを巡り、フランスへ行った。各国の郷土料理を堪能した。大型バスでゆっくりと景色を観ながら、イタリアからスイスへ高速道路で行ったが、周囲の景色が段々変わって来て、イタリアの平野からアルプスの山脈が見え始めたのは美しいとしか言えなかった。北イタリアでは白トリュフの山地の田舎町アルパで、トリュフずくしのディナーを頂き、取れたてのトリュフがこんなにも香りがして美味しいものだと言う事を初めて知った。これで、世界の三代珍味を食べてしまった。
今年の秋にはモンブランの麓の町シャモニーから南仏、プロヴァンスを巡りパリへ行く。3つ星のレストランを2軒持つアランデュカスのオーベルジュで食事をする予定。
皆様のご参加をお待ちしています!
(マインド社「ホームホーム」掲載)
私の教室でのヨーロッパ企画旅行を始めてから、もう10年程になる。今年の秋にフランス旅行を企画し、現在参加者を募集中!
この企画旅行とはオーダーメイドの旅行でJTBが主催される。人数も20名の限定で、個人旅行やツアーではなかなか行けない内容である。
旅行の価格は様々あるが、その価格の違いは、まずは季節、次にホテルと食事にある。私もヨーロッパへ行くうちに、段々口も目も肥えて、ホテルもヨーロッパの伝統的な、しかも立地の良いホテルに泊まり、お洒落して、星付きのレストランで、素敵なインテリアの中で心地よいサービスを受けて美味しいディナーを頂くことが楽しみになった。星付きのレストランを自分で2ヶ月前位に予約し、メニューを見てディナーを頂くには、どうしても英語かフランス語が必要となってくる。私の旅行の話を聞かれた生徒さん方から「私たちもぜひ行きたい」と頼まれたのが、この旅行のそもそもの始まりだった。
1回目はフランスとドイツの国境の町ストラスブールからブルゴーニュのワイン街道をマスタードで有名なデジョン迄、ワイン醸造所でブルゴーニュのワインを試飲しながら、ワイン畑の中を下ってパリへ行った。ロマネコンティの畑も見た。とても美しい絵の様な田舎の景色だった。パリではリッツとトゥールダルジャンでディナーを頂いた。
2、3回目はミラノ、ヴェニスの北イタリアからスイスを巡り、フランスへ行った。各国の郷土料理を堪能した。大型バスでゆっくりと景色を観ながら、イタリアからスイスへ高速道路で行ったが、周囲の景色が段々変わって来て、イタリアの平野からアルプスの山脈が見え始めたのは美しいとしか言えなかった。北イタリアでは白トリュフの山地の田舎町アルパで、トリュフずくしのディナーを頂き、取れたてのトリュフがこんなにも香りがして美味しいものだと言う事を初めて知った。これで、世界の三代珍味を食べてしまった。
今年の秋にはモンブランの麓の町シャモニーから南仏、プロヴァンスを巡りパリへ行く。3つ星のレストランを2軒持つアランデュカスのオーベルジュで食事をする予定。
皆様のご参加をお待ちしています!
(マインド社「ホームホーム」掲載)
第7回「食材の歴史は面白い」
第7回「食材の歴史は面白い」
今、熊本はトマトの一大産地で、本当に沢山の種類のトマトが店先にある。プティトマト、フルーツトマト、塩トマトなど。食べやすい味の生食用のトマトが沢山ある。私が子どもの頃は青々したトマトだけだった。そのため私は今でもトマトを生で食べれない。今人気があるイタリア料理では、トマトが欠かせない。パスタやリゾットにも、トマトソースや所謂ミートソースなどのトマトを使った料理が沢山ある。日本人が大好きなカレーにもトマトが入っている。今、世界中にトマトは欠かせない野菜の一つになっている。
トマトは古くからイタリアや世界中で使われているのか、と思っていたが、そうではなかった。
15世紀にコロンブスがアメリカの新大陸を発見した事による、食材の新発見がある。アメリカ大陸が発見されるまでは、世界のどこにもなかった食材である。新大陸の発見で見つかり、今では世界中に広まり日常ではな欠かせない食材になっている物。何と思われますか?それは「トマト」「じゃがいも」「とうもろこし」。お菓子の分野では「チョコレート」「ヴァニラ」。これらが15世紀迄は新大陸以外にはなかった食材である。
これらの食材は、コロンブスとその後アメリカ大陸に渡ったスペインのコルテス将軍が持って帰って来て、スペインからヨーロッパ全土に広がっていった。
最初はトマトは観用として育てられた。じゃがいもは当初は気味が悪い形をしている為、なかなか食用にならなかったが、ヨーロッパの飢饉で政治的に栽培をされるようになって、今ではなくてはならない野菜となった。ヨーロッパやアメリカではまるで主食の様に多様なじゃがいも料理を食している。このような歴史的な背景があるからである。ポテトチップス、フライドポテト、マッシュポテトなど数え切れない料理がある。
お菓子の分野でも、チョコレートは当初は苦い飲み物であったが、今の様に固形のチョコレートになったのは、その後であった。今でもヨーロッパやアメリカの人々にとってチョコレートは、日本人にとって小豆の餡子の和菓子の様になくてはならない存在となっている。
(マインド社「ホームホーム」掲載)
今、熊本はトマトの一大産地で、本当に沢山の種類のトマトが店先にある。プティトマト、フルーツトマト、塩トマトなど。食べやすい味の生食用のトマトが沢山ある。私が子どもの頃は青々したトマトだけだった。そのため私は今でもトマトを生で食べれない。今人気があるイタリア料理では、トマトが欠かせない。パスタやリゾットにも、トマトソースや所謂ミートソースなどのトマトを使った料理が沢山ある。日本人が大好きなカレーにもトマトが入っている。今、世界中にトマトは欠かせない野菜の一つになっている。
トマトは古くからイタリアや世界中で使われているのか、と思っていたが、そうではなかった。
15世紀にコロンブスがアメリカの新大陸を発見した事による、食材の新発見がある。アメリカ大陸が発見されるまでは、世界のどこにもなかった食材である。新大陸の発見で見つかり、今では世界中に広まり日常ではな欠かせない食材になっている物。何と思われますか?それは「トマト」「じゃがいも」「とうもろこし」。お菓子の分野では「チョコレート」「ヴァニラ」。これらが15世紀迄は新大陸以外にはなかった食材である。
これらの食材は、コロンブスとその後アメリカ大陸に渡ったスペインのコルテス将軍が持って帰って来て、スペインからヨーロッパ全土に広がっていった。
最初はトマトは観用として育てられた。じゃがいもは当初は気味が悪い形をしている為、なかなか食用にならなかったが、ヨーロッパの飢饉で政治的に栽培をされるようになって、今ではなくてはならない野菜となった。ヨーロッパやアメリカではまるで主食の様に多様なじゃがいも料理を食している。このような歴史的な背景があるからである。ポテトチップス、フライドポテト、マッシュポテトなど数え切れない料理がある。
お菓子の分野でも、チョコレートは当初は苦い飲み物であったが、今の様に固形のチョコレートになったのは、その後であった。今でもヨーロッパやアメリカの人々にとってチョコレートは、日本人にとって小豆の餡子の和菓子の様になくてはならない存在となっている。
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第8回「学歴に関係のない社会」
第8回「学歴に関係のない社会」
昨年から、私の教室では「プロのパティシェ養成総合コース」を開講した。以前より「パティシェになりたい」、「ケーキ屋へ就職をしたい」、との問い合わせが多々あった。残念ながら熊本には製菓学校がない為に、菓子職人になる為には、県外の学校へ行かなければならない状況であった。経済的な理由や諸般の理由で県外に行けない人も多い。そこでなんとかならないかと考え、その要望に応えたいと思い、数年かけてパティシェ養成のためのコースを準備した。現在このコースで少人数での教育を行っている。専門学校へ入学するには、卒業学歴と入学試験などが通常必要となる。
今、日本では不登校、高校中退など、教育上の問題が多くある。又その反面、大学進学率が高くなり、教育の格差が広がって来ている。高所得、高学歴の社会になってきた。
今の日本は身分の社会的な格差が、欧米諸国に比べると少ないと言われている。小泉政権になり、確かに所得の格差が広がって来ているのは実感する。現実は高学歴により社会的に高所得も得られるが、まだ日本の階層は流動的である。欧米では社会の階層が日本ほど流動的でなく、大学の進学率も低い。
今、マスコミなどでパティシェや料理人や職人の世界が多く報道されている。職人の世界は学歴ではない。本人の努力次第である。まだ日本では職人の仕事はなかなか認められにくいが、本人の努力次第の世界である。私もケーキ屋さんに最初修行に行った時は、学歴など尋ねられなかった。その時パティシェの仕事は何も出来ず、5年間無給で働き学んだ。
もちろん大学に行かなければ就けない職業もある。しかし仕事は学歴だけではない。
私の教室の「プロのパティシェ養成総合コース」では学歴は問わない。又入学試験も行わない。それは「教育上の問題を持つ子供たちに生きていく世界を見つけて欲しい」と言う私の願いからである。世界は広い。翼く世界はたくさんある。「希望をもって生きる」が大切なことである。
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昨年から、私の教室では「プロのパティシェ養成総合コース」を開講した。以前より「パティシェになりたい」、「ケーキ屋へ就職をしたい」、との問い合わせが多々あった。残念ながら熊本には製菓学校がない為に、菓子職人になる為には、県外の学校へ行かなければならない状況であった。経済的な理由や諸般の理由で県外に行けない人も多い。そこでなんとかならないかと考え、その要望に応えたいと思い、数年かけてパティシェ養成のためのコースを準備した。現在このコースで少人数での教育を行っている。専門学校へ入学するには、卒業学歴と入学試験などが通常必要となる。
今、日本では不登校、高校中退など、教育上の問題が多くある。又その反面、大学進学率が高くなり、教育の格差が広がって来ている。高所得、高学歴の社会になってきた。
今の日本は身分の社会的な格差が、欧米諸国に比べると少ないと言われている。小泉政権になり、確かに所得の格差が広がって来ているのは実感する。現実は高学歴により社会的に高所得も得られるが、まだ日本の階層は流動的である。欧米では社会の階層が日本ほど流動的でなく、大学の進学率も低い。
今、マスコミなどでパティシェや料理人や職人の世界が多く報道されている。職人の世界は学歴ではない。本人の努力次第である。まだ日本では職人の仕事はなかなか認められにくいが、本人の努力次第の世界である。私もケーキ屋さんに最初修行に行った時は、学歴など尋ねられなかった。その時パティシェの仕事は何も出来ず、5年間無給で働き学んだ。
もちろん大学に行かなければ就けない職業もある。しかし仕事は学歴だけではない。
私の教室の「プロのパティシェ養成総合コース」では学歴は問わない。又入学試験も行わない。それは「教育上の問題を持つ子供たちに生きていく世界を見つけて欲しい」と言う私の願いからである。世界は広い。翼く世界はたくさんある。「希望をもって生きる」が大切なことである。
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第9回「食事のマナーと食器の歴史」
第9回「食事のマナーと食器の歴史」
「冬のソナタ」などの韓国ドラマが大人気で観られた方も多い事でしょう。これらのドラマには多くの食事のシーンがある。皆様は日本と韓国の食事のマナーの違いに気が付かれたでしょうか?
私も一番近い外国の韓国に何度も行った。日本でも韓国料理は大変好まれている。しかし食事のマナーが異なる。韓国にはお箸とスッカラと言う独特のスプーンで食事をする。歴史的に食器がお箸とスプーンで食事をして、発展してきた。
食器により、食事のマナーが異なる。スプーンの歴史がある韓国では、一切の食器を持ってはいけない。ここが日本とは全く異なる。ご飯や味噌汁などの汁物は器を置いたままスプーンで食べる。ドラマで多く出てくる食事のシーンを注意深く見て頂くと、食事のマナーの違いに気が付かれる事と思う。
日本での食事は、明治時代の文明開化までお箸でのみしてきた。そのため、器は持って食べる。お吸い物や汁物は器を持ち、口につけて「吸う」。又お饂飩(うどん)やラーメンなどの麺類も麺とお汁をお箸で食べ、啜(すす)り込む事で自然に啜り込む音が出る。スプーンがなくお箸だけで食べる為、啜り込む音は特にお蕎麦などは音を立てて啜り込むのを良しとしている。
西洋でもナイフ、フォーク、スプーンで食事を頂く。スプーンでスープなどの汁物を頂くため、音を立てて啜り込むのはマナー違反である。我々日本人はどうしても啜り込む習慣が抜けない。これは食器の発展の歴史によるものである。また、ナイフで料理を一口大に切り、フォークで食べるため、お皿を持つ事はマナー違反である。我々日本人はお箸で食べるため、器を持って食べるのが自然である。むしろ小鉢などは、器を置いたまま料理を頂くのは行儀が悪いとされている。この様に、食事のマナーは食器の発達と大きく関係している。海外旅行へ行かれます時は、くれぐれも音を立てずに、お食事をお楽しみください。
(マインド社「ホームホーム」掲載)
「冬のソナタ」などの韓国ドラマが大人気で観られた方も多い事でしょう。これらのドラマには多くの食事のシーンがある。皆様は日本と韓国の食事のマナーの違いに気が付かれたでしょうか?
私も一番近い外国の韓国に何度も行った。日本でも韓国料理は大変好まれている。しかし食事のマナーが異なる。韓国にはお箸とスッカラと言う独特のスプーンで食事をする。歴史的に食器がお箸とスプーンで食事をして、発展してきた。
食器により、食事のマナーが異なる。スプーンの歴史がある韓国では、一切の食器を持ってはいけない。ここが日本とは全く異なる。ご飯や味噌汁などの汁物は器を置いたままスプーンで食べる。ドラマで多く出てくる食事のシーンを注意深く見て頂くと、食事のマナーの違いに気が付かれる事と思う。
日本での食事は、明治時代の文明開化までお箸でのみしてきた。そのため、器は持って食べる。お吸い物や汁物は器を持ち、口につけて「吸う」。又お饂飩(うどん)やラーメンなどの麺類も麺とお汁をお箸で食べ、啜(すす)り込む事で自然に啜り込む音が出る。スプーンがなくお箸だけで食べる為、啜り込む音は特にお蕎麦などは音を立てて啜り込むのを良しとしている。
西洋でもナイフ、フォーク、スプーンで食事を頂く。スプーンでスープなどの汁物を頂くため、音を立てて啜り込むのはマナー違反である。我々日本人はどうしても啜り込む習慣が抜けない。これは食器の発展の歴史によるものである。また、ナイフで料理を一口大に切り、フォークで食べるため、お皿を持つ事はマナー違反である。我々日本人はお箸で食べるため、器を持って食べるのが自然である。むしろ小鉢などは、器を置いたまま料理を頂くのは行儀が悪いとされている。この様に、食事のマナーは食器の発達と大きく関係している。海外旅行へ行かれます時は、くれぐれも音を立てずに、お食事をお楽しみください。
(マインド社「ホームホーム」掲載)
第10回「ファーストフードと食育教育」
第10回「ファーストフードと食育教育」
私が初めてインスタントラーメンを食べたのは、小学校の時であった。お湯をかけて3分間待てば美味しいラーメンが食べれるなんて子供心に驚きであった。とても美味しかった。初めてのマクドナルドのハンバーガーは大学時代に東京の叔父宅へ遊びに行った時であった。銀座の三越デパートの1階にオープンしたマクドナルドの1号店で食べたハンバーガーは、当時の憧れのアメリカの味がした。
フライドチキンもピザも大学生時代に初めて味わった。「こんなに美味しいものがあるのか!」と思った。当時は値段も高くアルバイト代を頂いた時にだけ食べれるご馳走であった。アメリカの香りが美味しかった。日本の食生活もまだ豊かな時代ではなかった。
今、ファーストフードの弊害が多く言われている。カロリーが高い事、添加物が多いこと、栄養が偏っている事などがある。これは、ファーストフードだけの問題ではない。ファーストフードが出始めの頃は、価格も高く日常に食べれるものではなく、今では価格も安く手軽に食べられる様になった。今、中食のビジネスの時代と言われている。
中食とは家での食事と外食の間、つまり出来合いの惣菜やお弁当などを家で日常の食事として食べることである。家で食事を作らなくても食事が出来る時代になって来た。 これが今の子供達の食生活の問題となっている。アメリカでも子供の肥満と生活習慣病が社会的問題になっている。 食生活や味覚は子供の時代に培われて育つ。 最近「家で食事を作らないお母さんがいる」と聞き驚いてしまう。知人の家庭では夕食はずっと外食で済ますとも聞いた。
もう珍しい事ではないらしい。これでは「日本の食育教育」が社会問題になるのは当然である。子供達の健康や味覚が心配である。私たちも生活習慣病が怖い。 現在の食品に含まれている添加物はすごい。 添加物を長年摂取する事の健康への弊害は怖い。 今、ファーストフードに対しスローフードがイタリアから提唱されている。世界中で食育は見直されてきている。 食事は何でも良い。家庭で作りましょう!
私が初めてインスタントラーメンを食べたのは、小学校の時であった。お湯をかけて3分間待てば美味しいラーメンが食べれるなんて子供心に驚きであった。とても美味しかった。初めてのマクドナルドのハンバーガーは大学時代に東京の叔父宅へ遊びに行った時であった。銀座の三越デパートの1階にオープンしたマクドナルドの1号店で食べたハンバーガーは、当時の憧れのアメリカの味がした。
フライドチキンもピザも大学生時代に初めて味わった。「こんなに美味しいものがあるのか!」と思った。当時は値段も高くアルバイト代を頂いた時にだけ食べれるご馳走であった。アメリカの香りが美味しかった。日本の食生活もまだ豊かな時代ではなかった。
今、ファーストフードの弊害が多く言われている。カロリーが高い事、添加物が多いこと、栄養が偏っている事などがある。これは、ファーストフードだけの問題ではない。ファーストフードが出始めの頃は、価格も高く日常に食べれるものではなく、今では価格も安く手軽に食べられる様になった。今、中食のビジネスの時代と言われている。
中食とは家での食事と外食の間、つまり出来合いの惣菜やお弁当などを家で日常の食事として食べることである。家で食事を作らなくても食事が出来る時代になって来た。 これが今の子供達の食生活の問題となっている。アメリカでも子供の肥満と生活習慣病が社会的問題になっている。 食生活や味覚は子供の時代に培われて育つ。 最近「家で食事を作らないお母さんがいる」と聞き驚いてしまう。知人の家庭では夕食はずっと外食で済ますとも聞いた。
もう珍しい事ではないらしい。これでは「日本の食育教育」が社会問題になるのは当然である。子供達の健康や味覚が心配である。私たちも生活習慣病が怖い。 現在の食品に含まれている添加物はすごい。 添加物を長年摂取する事の健康への弊害は怖い。 今、ファーストフードに対しスローフードがイタリアから提唱されている。世界中で食育は見直されてきている。 食事は何でも良い。家庭で作りましょう!
第11回「少子化問題と女性の仕事」
第11回「少子化問題と女性の仕事」
日本の出生率も1.2までになってしまった。つまり、夫婦2人に1.2の子供しか生まれない、という事である。これでは、将来の人口は目減りして、日本の国力が危ぶまれる訳である。私たちの団塊の世代がこれから高齢化して、その多くの高齢者を少ない若い世代で支えなければならなくなっていく。団塊の世代の私としては、老後が大変不安である。
しかし、家庭を持ち、仕事をしながら子供を育ててきた私は、この少子化が良く理解できる。私には2人の子供がいる。 40年位前の私が子供の頃から、父は私に「これからは女性も教育を受けて、社会に役に立つ人間にならなければならない」と言い私を育ててきた。受験戦争の中で私は男性と同等に勉強をし、外資系企業の中で総合職で仕事をしてきた。しかし、結婚し、子供が出来ると、とたんに女性の生き方の社会の壁にぶつかってしまった。その当時は、結婚したら退職をして専業主婦になるのが当然の社会だった。子供がいて仕事をするなんて、と非難の的であった。 まだ、社会が許してはくれなかった。
子育てに専念をしていた私は、その社会の狭さと自分の人生の生き方に泣きたい程の悲しさを感じていた。もっと勉強がしたかった。自分の社会が欲しかった。社会と直接触れ、社会の刺激が欲しかった。今の少子化には、多くの要因がある。教育は男性も女性も同等に受ける。ところが社会に出ると、就職などで社会の差別に直面する。
しかも、結婚をして子供を持つ事になると、子育てが殆ど女性のお母さんの肩にずっしりとかかってくる。仕事・主婦・母親の3つを一人で24時間でしなければならなくなる。一人でその重圧に立ち向かわなければ、仕事は出来ない。これは、とても辛い。最近は、男性が育児休暇を取れるようになって来た。
主夫をする男性も少しではあるが見られるようになってきた。女性の高学歴に伴う社会進出で、少子化が進んでいる事を改善するには、夫たる男性の理解と協力がなければならない。社会の協力がぜひとも必要である。 その為に、男性の皆様方に子育てと家庭のご協力とご理解を切にお願いを致します。
(マインド社「ホームホーム」掲載)
日本の出生率も1.2までになってしまった。つまり、夫婦2人に1.2の子供しか生まれない、という事である。これでは、将来の人口は目減りして、日本の国力が危ぶまれる訳である。私たちの団塊の世代がこれから高齢化して、その多くの高齢者を少ない若い世代で支えなければならなくなっていく。団塊の世代の私としては、老後が大変不安である。
しかし、家庭を持ち、仕事をしながら子供を育ててきた私は、この少子化が良く理解できる。私には2人の子供がいる。 40年位前の私が子供の頃から、父は私に「これからは女性も教育を受けて、社会に役に立つ人間にならなければならない」と言い私を育ててきた。受験戦争の中で私は男性と同等に勉強をし、外資系企業の中で総合職で仕事をしてきた。しかし、結婚し、子供が出来ると、とたんに女性の生き方の社会の壁にぶつかってしまった。その当時は、結婚したら退職をして専業主婦になるのが当然の社会だった。子供がいて仕事をするなんて、と非難の的であった。 まだ、社会が許してはくれなかった。
子育てに専念をしていた私は、その社会の狭さと自分の人生の生き方に泣きたい程の悲しさを感じていた。もっと勉強がしたかった。自分の社会が欲しかった。社会と直接触れ、社会の刺激が欲しかった。今の少子化には、多くの要因がある。教育は男性も女性も同等に受ける。ところが社会に出ると、就職などで社会の差別に直面する。
しかも、結婚をして子供を持つ事になると、子育てが殆ど女性のお母さんの肩にずっしりとかかってくる。仕事・主婦・母親の3つを一人で24時間でしなければならなくなる。一人でその重圧に立ち向かわなければ、仕事は出来ない。これは、とても辛い。最近は、男性が育児休暇を取れるようになって来た。
主夫をする男性も少しではあるが見られるようになってきた。女性の高学歴に伴う社会進出で、少子化が進んでいる事を改善するには、夫たる男性の理解と協力がなければならない。社会の協力がぜひとも必要である。 その為に、男性の皆様方に子育てと家庭のご協力とご理解を切にお願いを致します。
(マインド社「ホームホーム」掲載)

